通称“ルバシカ” ~ ソ連軍 1943年型ギムナスチョルカ (海外製・複製品)

この「1943年型ギムナスチョルカ(軍服)」、通称“ルバシカ”は、独ソ戦以前から使われていた「1935年型ギムナスチョルカ」に代わって[1943年1月15日付・ソ連国防人民委員会第25号]にて制式採用された労農赤軍(ソ連軍)の軍服です。

それまでの折襟と襟章の組み合わせから、詰襟と肩章の組み合わせへと大幅なデザインの変更がなされました。

特に階級章は全く新規のデザインに改められたので、戦場の兵士はさぞ混乱したものと邪推してしまいます。

古今東西、戦時中に軍装の改変が行われる例は少なくありませんが、ソ連赤軍のように軍服のデザインを全く違う物にしてしまうような大胆な改変はあまり見られないと思います。(大抵は戦時省力化や階級章のサイズ変更程度)

 

 

生地はカーキ色の綿製で、比較的薄手で柔らかい素材です。

この複製品は、戦後製造品をもとにモデル化した物らしく、厳密には細部が戦時中のモデルと異なるらしいのですが、詳細は勉強不足でわかりません。

複製品としての出来は良く、膝の当て布等の形状もしっかり再現されています。

着用してみると明るめのカーキ色が大戦当時の赤軍兵士のイメージにピッタリで気に入っています。

 

 

ポケットの裏面は白色で、各ボタンは金色に塗装された樹脂製です。

大戦中は、肩章留めを除く各部のボタンは、下士官兵用ではカーキグリーン系もしくは黒色塗装ボタンが使われていました。

ただ、大戦中の記念写真・ポートレートのたぐいでは下士官以下の階級の兵士でも光沢のあるボタンがしばしば見られるため、規定と異なる組み合わせの被服もあった、と言い訳して着用おります・・・(笑)

 

 

詰襟は2個の小ボタンで留めます。

ソ連軍独特の白色襟布は、自作して縫い付けました。

これがあるとないとでは雰囲気が段違いですから、外せない要素です。

M43ルバシカはの胸ポケットは、制式当初は士官用のみで、下士官兵用の官給品には一切ポケットがありませんでした。

その後、1944年8月5日付けで、曹長クラスの下士官の被服に士官同等の胸ポケット付き被服が導入されました。

さらに、1944年9月16日付けで、軍曹以下の兵士にも適用されたものの、そちらは余剰となった士官用被服が提供された例に限られたようです。

 

 

上着はプルオーバー型なので、頭から被るように着用します。

綿製の夏服という事もあり、内張は無く白無地綿製のポケットの裏地が目を引きます。

 

 

肩章には歩兵の兵科色の縁取りが付いています。

階級は「兵卒」です。

肩章の構造はドイツ国防軍の物と同様、軍服のループとボタンで固定するオーソドックスな型式です。

ルバシカのシンプルなデザインの中で、大型の肩章はひときわ存在感があります。

 

 

ルバシカのズボンは日本陸軍の短袴同様、ゲートルを巻いたり長靴を履いたりする際に便利なように膝下が絞ってある乗馬ズボン型です。

裾の締め紐やウエストのストラップで体にフィットするよう随時調整できる、なかなか凝った作りです。

 

 

ズボン用ベルトは第二次世界大戦当時モデルの複製品です。

ソ連軍のズボン用ベルトは伝統的に特に幅が狭く、ベルトと言うよりは板紐と言ったほうが相応しいくらい細いです。

対応するズボン側のベルトーループも幅細く作られているため、専用ベルトでないと大変使いにくいです。

 

 

ズボン用ベルトはちょっと細すぎる気がしますが、戦後のM69軍服でも引き続き同型のベルトが継続して使われました。

また画像でも確認できるようにポケット内側は白色綿製で、前合わせは金属ボタンで留めます。

 

 

ズボン後面には締め紐があり、若干のウエスト調整が可能です。

 

 

ズボンの膝には補強の為に五角形の当て布が縫い付けてあります。

 

 

足首には紐が内蔵されており、バタつかないよう絞る事ができます。

 

 

実際の着用状況です。

帽子は「ピロトカ(略帽)」、靴は「キルザチー(合皮製長靴)」を履いています。

腰に巻いた「ポヤス(ベルト)」は、大戦中によく見られた布ベルトを革で補強した戦時代用型です。

実際に着用してみて思いましたが、前合わせが上部のみボタンで開け閉めできる、いわゆるプルオーバータイプのつくりの為でしょうか、激しく動き回る内に上着の裾がめくれてしまうのが多少鬱陶しく感じられます。

 

 

軍服のインナーシャツには、戦後ソ連軍の下着を代用してみました。

デザインは戦時中と同じで、素材は白色綿製です。

時代がかったデザインで、大戦当時の装備に雰囲気がよく似合います。

 

 

「PPSh-41短機関銃」を装備した労農赤軍兵士です。

装備はサブマシンガンと僅かな予備弾薬のみを持ち、私物を丸ごと詰め込んだ背嚢を背に戦車の手すりに取り付いて前進する、タンクデサント(戦車随伴歩兵)のイメージです。

 

 

背中にはソ連軍独特の、巾着型の「メショク(背嚢)」を背負っています。

布袋に負い紐が付いただけというシンプル極まりない作りの背嚢は、負い紐の先端で袋の口を縛るという個性的な構造で、見た目の独特さが面白く、赤軍兵士らしさを演出するのに最適です。

初夏以降は暑くて邪魔なだけですが、肌寒い季節ならちょっとした暖房にもなりそうです。

 

 

武装はPPSh-41短機関銃を装備しています。

第二次世界大戦、特に東部戦線では独ソ両軍によってサブマシンガンが大量に使用されました。

中でもソ連軍のPPSh-41はドラムマガジンの火力と、頑丈な作りで赤軍兵士はもとより、鹵獲したドイツ軍兵士にも高評価の傑作短機関銃です。

 

 

手にしているのは中国のトイガンメーカーS&T製の電動ガンです。

付属のドラムマガジンは1500連射の大容量マガジンで、コッキングレバーがピストンと連動して前後動する、擬似ブローバック機構が内蔵されています。

 

 

メタルフレームと木製ストックにドラムマガジンも加えると結構な重量感で、一日ゲームをするとかなり腕に堪えますが、甲高い金属音を立てながらの擬似ブローバックが楽しい銃です。

サバイバルゲームでは大戦装備の中では数少ない、フルオートで撃てるメインウェポンとして重宝しています。

 

 

ソ連軍の装備は体制崩壊する1980代末に至るまで、基本的に各種装備品を装備ベルトにループを通して携行する、シンプルかつオーソドックスな構造です。

同時期のドイツ軍等に比べると荷物が少ない印象ですが、実際の戦場においても、携行する装備品はそう多くはなかったようです。

本来の装備規定によればドラムマガジンは3個携帯する事になっていましたが、当時画像での装備例は見たことがありません。

 

 

こちらは「モシン・ナガンM1891/30小銃」を装備した典型的な赤軍歩兵装備です。

背中には背嚢の代わりに「パラトカ(ポンチョ)」をロール状に巻いた物をたすき掛けしています。

このような装備の携行方法は戦時中よく見られた姿で、赤軍ではポンチョ意外にも毛布や外套等、かさばる衣類をロール状にして携行していたようです。

 

 

専用銃剣はスパイクバヨネットタイプです。

画像のモシン・ナガンは狙撃銃仕様なので、実際には着剣する事は無かったでしょうが、参考まで。

 

着剣すると非常に長く、カメラのフレームにうまく収まるように距離の取り方に苦労しました。

スパイクバヨネットは常に着剣した状態にしておくのが基本だったそうで、外れないように銃にネジ留めしてあったと聞いたことがあります。(ただし鞘や剣吊りもアイテムとしては存在します)

 

 

小銃用弾薬盒は規定どおり2個装備していますが、実際には1個だけの兵士も少なくなかったようです。(厳密には、弾薬盒は戦後製造の実物で、戦時中一般的だった革製の物とは各部の形状が異なります)

めったに見かけませんが、装備の充実した部隊だと、これらの装備品に加えて更に手榴弾ポーチや雑嚢、予備弾帯等を身につけています。

ルバシカ型軍服は1943年以降のクルスクの戦いからバグラチオン作戦を経てベルリン陥落に至る、赤軍勝利の軌跡を代表するユニフォームであり、戦後もM69軍服が制式化されるまでの長期間に渡って着用され続けました。

ミリタリーコスプレの視点から見ても汎用性が高く、朝鮮戦争当時の北朝鮮軍にも流用できますし、AK-47との組み合わせでゲーム「メタルギアソリッド3」のソ連兵なんかもイケますね。

 

 

【商品紹介】


 

「第二次世界大戦軍装ガイド: 1939~1945」…第二次世界大戦参加各国の軍装をイラスト解説した資料本です。私の軍装知識の基礎ともなった愛読書です。

 

「軍服画報 月刊アームズマガジン4月号別冊 ホビージャパン 1998年」…時代を問わず世界各国の軍装品を実物の画像にて解説した資料本です。特に、WWII労農赤軍に多くのページが割かれており、参考になります。

 

 

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