冷戦期のソ連軍装備 ~ ソ連軍 1969年型野外服 (実物)

今回紹介するのはソ連地上軍の「1969年型野外服」です。

ミリタリー市場では「M69」の呼び名で知られるこの軍服は、戦後冷戦時代を代用する「キーチェリ(戦闘服)」です。

第二次世界大戦中の1943年に制定された「1943年型ギムナスチョルカ」は、肩章や胸ポケットの改修を受けつつ長らく運用されていましたが、後継として1969年に「1969年型キーチェリ」が採用されると速やかに更新され、以後1991年のソ連邦崩壊にに至るまで現役で有り続けました。

冷戦中は“カラシニコフ突撃銃”と共に、西側自由主義陣営に「悪の帝国ソビエト」のイメージを強く印象付けた軍装でもあります。

 

 

軍服のデザインは折襟に兵科章、肩章に階級章をあしらい、袖口と前合わせに金色のボタンを用いた昔ながらの「軍服」のイメージそのもの。

1970年~1980年代という採用時期を考えても時代がかった意匠と言わざるを得ません。(同時期の米軍装備は開襟制服とウッドランド迷彩服です)

 

 

背中は中心に裁断があり、身体へのフィット感を考慮してウエストは若干絞られています。

米軍の「BDU」と比べると随分と手の込んだ造りで、この辺も古風な印象を与える原因になっていそうです。

 

 

襟の内側には汗止めの白色綿製の襟布が付きます。

入手時点では何も付いていない状態でしたので、自作した物を縫い付けました。

「M69」には軍服と同色の襟章台座と肩章がはじめから縫い付けてあります。

襟章台座には金属製の兵科章を差し込み、肩章台座にはリボンを縫い付ける事で階級を示します。

 

 

画像のように「野外服(戦闘服)」として使用する際にはカーキ色に塗装された野戦用兵科章と兵科色(歩兵は赤色)のリボンを取り付けます。

軍服のボタンも規定では野戦用カーキ色(塗装ボタンもしくは成形色がカーキのプラ製ボタン)に付け替える事になっていましたが、実際には殆ど行われず、常勤服のままの、金メッキのプラ製ボタンが使われていました。

 

 

「M69」は基本的に内張りに相当する物は無く、ポケットの袋部分が露出して見えます。

 

 

両胸には内ポケットが内臓されてあり、簡単なボタン留め構造になっています。

 

 

腰ポケットの裏面に、タグ・スタンプが押印されています。

 

 

胸の内ポケットも含め容量は少なく、身分証やハンカチ、財布等を収納するのがせいぜいでしょう。

「1981年型アフガンカ」のカーゴポケットのように、食料・弾薬を持ち運ぶ事は考慮されていないようです。

 

 

「M69」のズボンは「M43」のデザインを受け継いだ乗馬ズボン型です。

長靴を履くことを考慮したデザインですが、軍服同様レトロな印象を受けます。

 

 

ズボンの物入れは左右の切れ込みポケットのみで、後の戦闘服のような多機能性は考慮されていません。

一方で膝下にかけて緩やかな絞りが入っている等、昔ながらのデザイン性を重視した志向が見て取れます。

 

 

前合わせはプラ製ボタンと金属ホック留めで、この構造は「アフガンカ」でも踏襲されています。

 

 

上着同様、ポケットの裏面にタグ・スタンプが確認できます。

 

 

ウエストは両サイドのプラ製ボタンとタブを使う事で、ある程度調整できます。

ベルトループは幅が狭く、専用のズボン用ベルトのみを考慮した作りです。

 

 

ソ連軍のズボン用ベルトは第二次世界大戦当時から幅の細い、画像のタイプが使われています。

 

 

形状は装備品縛着用ストラップと酷似しており、ズボン用ベルトとしてはお世辞にも使いやすいとは言えません。

 

 

膝には五角形の当て布がしてあり、耐久性を高めてあります。

この膝当ては、軍隊内での流行で剥がしてしまう兵士もいたそうです。

 

 

裾は足首のラインに合わせて緩やかな曲面処理をした上で、靴を履く際にズボンがめくれないよう足裏にくぐらせる板紐がボタン留めされており、長靴を常用するソ連軍らしい配慮が伺えます。

 

 

「1969年型野外服」に装備ベルトを締め、足元はキルザチー(徴収兵向けの合皮製長靴)を履いています。

 

 

ソ連軍の長靴は丈が長めで、胴の部分にキャンバス地を塗料で加工したような質感の「キルザ」と呼ばれる人造皮革を使用しているのが特徴です。

軍服の前合わせは「M43」のようなプルオーバー式では無くなり、着用しやすくなりました。

 

 

また腰周りも動かしやすいデザインになり、着心地はだいぶ改善されています。

 

 

軍服の下にはルバシカ型の襦袢を着用するのが基本ですが、1980年代後半の映像では画像のような白のタンクトップ・ランニングシャツを着た姿も見られます。

戦闘や演習の映像を見ていると、各国軍とも概ね時代が新しくなるにつれて、下着類は簡略化される傾向にありますね。

首に提げているのは「認識票」で、1960年代製の実物で番号表記のある中古品です。

米軍だと2枚1組で首から下げる規定ですが、ソ連軍では2枚支給された認識票の内1枚を携帯し、もう1枚は部隊内で保管します。

 

 

1980年代の「ソ連地上軍 自動車化狙撃兵 兵卒」の野戦装備です。

赤や黄色、青色などの原色を使った派手なワッペンが印象的なソ連軍ですが、実際の戦闘を想定した装備ではカーキ色の野戦用徽章を使用していました。

画像でも地味さ加減が伝わるかと思いますが、実戦や演習では必要に応じて更に上から「KLMK」等の迷彩カバーオールを重ね着するので、より徹底した迷彩効果が期待できます。

 

 

各装備品は分厚く織りの粗い、硬いキャンバス生地で作られています。

ナイロンに比べると重く、濡れると乾きが遅い欠点がありますが、爆発や火災等で火に煽られても簡単に燃えたり溶けたりせず、厳寒地域でも凍って割れたりしないのが利点です。

 

 

ガスマスクはたすき掛けで携行します。

サバイバルゲームでは全く必要の無いガスマスクですが、ソ連軍をはじめ東欧のワルシャワ条約機構軍では常にガスマスクを装備していたので、コスプレ視点では外せない必需品です。

携行しているガスマスクポーチは「1967年型Aタイプ」で、冷戦時のソ連軍ガスマスクポーチとしては一番良く見かけるモデルです。

 

 

携帯ショベルはソ連軍で長らく使われていた、ブレードが五角形の「MPL-50」ショベルです。

折り畳み機構や各種ツールとしての使い道のない、きわめてシンプルな構造ですが、それだけに簡単には壊れそうになく、耐久性は期待できます。

柄は木製で自然な肌触りを考慮した・・・事はないでしょうケド、酷寒の地でも凍傷を防ぎ、いざというときには暖を取る薪にもなるなど、ロシア的合理性が垣間見えます。

 

 

装備している銃器は「AK-74」で、木製ストックの初期型です。

ソ連軍は自動車化が進んでおり、歩兵戦闘車や装甲輸送車による乗車移動が一般化していましたが、この頃はまだ歩兵は固定ストック仕様を装備しています。

1980年代末期に折り畳み式の黒色樹脂ストックを装備した後期型の「AK-74M」が登場しますが、部隊に普及したのはロシア連邦軍になってからです。

 

 

ソ連軍の装備は、装備品をループを通してベルトに固定し、それをサスペンダーで吊るという大変シンプルな、言い換えれば第二次世界大戦以来の古臭い装備と言えましょうか。

 

 

激しい動きをするうちに重量物が身体の前方(ベルトのバックルの位置)にずれ集まってくるのが鬱陶しく、お世辞にも快適とは言い難いのですが、簡潔明瞭な装備品の作りは経験の浅い新兵でも感覚的に扱えるとも言えます。

 

 

こちらは1980年代のソ連地上軍歩兵分隊・軽機関銃手の装備です。

基本的な軍装は歩兵と同じですが、AK-74用よりも大型の「RPK用マガジンバッグ」を装備しています。

 

 

装備ベルト後方には「MPL-50ショベル」と「歩兵用水筒」をベルトループを会して装着しています。

また、背中にはソ連軍独特のナップザック型背嚢「メショク」を背負っています。

 

 

この背嚢は第二次世界大戦で多用された簡易型背嚢の戦後製造品で、中央に小物収納ポケットと、四隅に装備縛着用ストラップを追加し、より機能的に改良してあります。

 

 

画像では、ストラップを使い「パラトカ(ポンチョ)」をロール状に巻いた物を縛着しています。

 

 

背嚢を背負った時は、背嚢のショルダーストラップを装備サスペンダーのパッドについているループに通して固定します。

サスペンダーのループ留めと正面の固定ストラップにより、背嚢は安定して保持されます。

背嚢を背負った状態で行軍時の完全軍装となりますが、ソ連軍は1973年規定で完全軍装を廃止、以後は背嚢は背負わず輸送車輛内に残置する事とされました。

 

 

RPK用マガジンポーチはAK-74用よりも縦に長く大型で、フル装填した45連マガジンを4本収納可能です。

全備重量は相当な物となるため、重量分散効果を考慮してショルダーストラップが追加されています。

 

 

画像では規定通りに左肩から右腰にかけてマガジンバッグをたすき掛けしています。

 

 

装備しているのは「RPK-74軽機関銃」で、ベークライト製45連マガジンを装着しています。

「RPK-74」は「AK-74」と弾薬を統一する為、「RPK」の口径を7.62㎜から5.45㎜に変更した改良版で、ソ連軍および同盟諸国において分隊支援火器の主力として活躍しました。

1980年代には一線級部隊の銃器は5.45㎜小銃弾に更新完了しており、AK-74とRPK-74の二本立てで分隊火力を構成していたようです。

 

 

画像では軍装考証重視で装備を組んでいますが、サバイバルゲームではガスマスクケースや携帯ショベルをはずし、代わりにサイドアームのハンドガンをホルスターに入れて装備しています。

 

 

一通り見てみると、ソ連軍装備は総じてシンプルで丈夫、環境条件や使用者を選ばないという印象です。

この明瞭さはロシア的合理性とでも言いましょうか、AKやRPG等のロシア製銃火器にも共通する特徴ですね。

 

 

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