中国人民解放軍の装備品「2連木柄手榴弾袋」です。
4連手榴弾袋は良く見かけますが、2連手榴弾袋は流通が不安定なので、実物未使用品を機会を逃がさず入手しました。
人民解放軍では建軍以来、柄付き手榴弾を主力手榴弾として使用しており、訓練・演習・実戦いずれの場においても、グレネードポーチをたすき掛けにしている姿が見られます。
この手榴弾袋はベルトループは無く、たすき掛けにしてウエストストラップで腰回りを結び留める作りです。
ショルダーストラップは小銃用スリングベルトに似た厚みのある頑丈な織り板紐で、手榴弾の重量に耐えられるよう縫製もしっかりしています。
手榴弾の弾頭が収まるポケットは、底面が補強縫いされており耐久性も考慮されています。
弾頭収納部は、67式木柄手榴弾の訓練用模擬弾が余裕を持って収納できます。
67式木柄手榴弾を収納した様子です。
専用に作られているだけあって、リアルサイズの訓練用模擬弾を綺麗に収納できました。
手榴弾は、かつてのソ連軍では「ポケット砲兵」と呼ばれ多用されたそうです。
中国でも、抗日戦争当時から不足する火力を補う為、ドイツ式装備で訓練された国府軍(中国国民党軍)やソ連の支援を受けた紅軍(中国共産党軍)が、柄付き手榴弾の大量投入で日本軍を苦しめています。
大戦中から戦後の国共内戦辺りまではドイツ軍のM24柄付き手榴弾のコピー品が主流だったようですが、中華人民共和国建国および人民解放軍建軍以後は、よりコンパクトにデザインされた物が主流となり、朝鮮戦争で大量に投入されました。
のちに改良・洗練された「67式木柄手榴弾」が採用され、人民解放軍の主力手榴弾として長らく運用されました。
4連手榴弾袋が一般兵士用であるのに対し、2連手榴弾袋は軽機関銃手等の重量負担の大きい兵士が身に着けています。
一般的な歩兵分隊では、56式班用机槍(中国製RPD分隊機関銃)の射手及び副射手(兼予備弾薬手)がこれに当たります。
現在のように研究が進んでおらず、軍装品の流通が乏しかった2000年代辺りまでは、ベトナム戦争における共産軍側の装備品として、リエナクトやサバイバルゲームでよく利用されていました。
現在ではベトナム戦争での中国からの支援物資は人民解放軍装備品の流用ではなく、ベトナム人民軍向けに専用に縫製されてたもので、ベルトもポーチ類も微妙にデザインが異なる物だと認識されています。(通称「援越装備」)
木柄手榴弾収納ポケット上部には、柄を通し保持するための板紐がループ状に縫い付けてあります。
ハーネスのサイズ調節金具は、防錆処理を施したスチール製のようです。
人民解放軍装備品の金具類は、製造時期が新しくなるにつれて艶のある軍緑色の塗装仕上げになっていきます。
ウエストストラップは綿製の板紐で、ほつれない様に末端も丁寧に縫い留められています。
末端処理も時代が新しくなるにつれて、折り込み縫製ではなく裁断面を接着剤で固めてほつれ防止とするよう、作りが簡略されていきます。
木柄手榴弾の収納手順です。
手榴弾の柄を下からループに通して、ポケットに弾頭を収納します。
手榴弾袋の裏面に「二連木柄手榴弾袋」のスタンプが押印されており、3521工場の1966年度製品とわかります。
個体によってスタンプが擦れていたり、使い込んで退色が進み判読困難な物もありますが、未使用新品という事もありはっきりと濃い印字がされています。
実際に身に着けてみました。
外腰帯(装備ベルト)と手榴弾袋のみ携行した解放軍士兵の姿は、訓練中の記録映像で確認できます。
4連手榴弾袋と比べると、半分のサイズなので腰回りでかさばらず、扱いやすいです。
木柄手榴弾も4個提げると肩にずっしり重みを感じますが、2本だとさほど負担に感じません。
僅かな重量の差といえど、軽機関銃手や副射手(100発入り予備弾倉を2個携行)にとっては、少しでも負担が軽減されるので歓迎されただろうと思います。
手榴弾袋はベルトループは無く、外腰帯の上からたすきに掛けて、ぶらつかないようにストラップで腰回りに結び留めます。
各国のガスマスクバッグに似た着装方法ですが、シンプルながら軽便で機能的です。
【商品紹介】
中国人民解放軍 1965-1985 四連装グレネードショルダーバッグ」…軍緑色の実物です。
「67式手榴弾」…金属製弾頭の訓練用手榴弾です。