ニッポンの伝統 ~ 日本陸軍 九三式背負い袋 (実物)

日本陸軍の装備品の一つである「九三式背負い袋」です。

紹介する物は実物中古品です。

 

 

背負い袋は、古くは江戸時代にまで遡る、日本の伝統的荷物運搬用具です。

時代劇や大河ドラマで、旅支度の侍が袈裟懸けに背負っている姿をよく目にします。

 

 

日本陸軍でも、洋式軍装を模倣する中で伝統的装具も取り入れられたようで、背負い袋は日露戦争でも見られますし、昭和に入ってからもヘルメットを例に挙げると試作段階では革ベルトだった顎紐が、制式採用されたのは昔ながらの“兜結び”で使う、長い板紐だったりします。

 

 

九三式背負い袋は、従来の背負い袋の改良版で、意図は不明ですが、もともと筒状の袋だった背負い袋の中央付近を縫い合わせて、二つの袋状に構造を変更してあります。

 

 

背負い袋の構造は非常にシンプルな物で、細長い筒状の袋であり、中に物品を収納したら両端を結び留め、その両端を結んでわっか状にして身に着けます。

 

 

中央の板紐は対角線上に結び、背負い袋が揺れ動かないように体に縛着します。

 

 

生地は陸軍夏衣と同じ茶褐色綿布で作られており、丈夫に出来ています。

 

 

以前、書籍にて日本陸軍は資源節約のため、太平洋戦争末期には背嚢の製造・支給を廃止して、装備品を背負い袋に一本化したと読んだことがありますが、実際のところは情報不足で判然としません。

 

 

背負い袋は複製品も流通しておりますが、販売価格が実物の程度の良いものと大差ない為、コレクションには実物、酷使するならレプリカ、と選択肢があるのは良いことだと思います。

 

 

逆に言えば、それだけ程度の良い背負い袋が現存しているという事で、現存する背負い袋の製造年度が昭和十九年製が多い事も合わせ考えるに、もしかすると背嚢代用品として戦争後期に増産された物が残っているが、実際にはそれ程使われていなかったのかもしれません。

 

 

というのも当時の実録画像を見ると、一見背負い袋に見える物の多くが、携帯天幕を利用した“背負い袋式運用”なのがわかります。

実際の背負い袋の運用状況は案外わからない物です。

 

 

袋の端面に、使用者の名前?と思われる墨書が確認できます。

 

 

戦時中の物か、戦後の物かまではわかりませんが、実用された痕跡と言えます。

ただし、背負い袋自体は使用による痛みやスレがほとんど見られず、新品同様のコンディションです。

 

 

戦争後半期に製造された物らしく、紐は代用素材であるスフ(化学繊維)が使われています。

スフは独特の光沢があり容易に見分けがつきます。

 

 

化繊というとナイロンを彷彿とさせますが、当時のスフ、人絹(じんけん)、レーヨンと呼ばれた素材は、水にぬれると容易に縮み、強度も低く、軍用品としてはあくまでも“やむを得ず代用する”類の物でした。

 

 

背負い袋に荷物をいっぱいに詰めて、携行スタイルにした状態です。

背嚢入組品は大体収納出来たようで、食糧や下着、飯盒も詰め込めるだけの容量があります。

 

 

実際に背負い袋を携行した状態です。

満載にするとさすがにかさばりますが、箱型背嚢と比べると簡便に扱える印象です。

 

 

背嚢に代えて背負い袋を用いた完全軍装の着装例です。

背負い袋の中身の重量が方から背中にかけて負荷となりますが、身体正面には結び紐があるだけなので、比較的動きやすいです。

 

 

背負い袋にはもう一つ結び方、背負い方があります。

通称「挺身結び」と呼ばれる方法で、遊撃戦(ゲリラ戦)や斥候(偵察)任務等、必要最小限の物資を持って身軽に活動する際に行われた携行方法のようです。

 

 

挺身結びにて背負い袋を携行した、南方戦線の挺身斬り込み隊の装備例です。

この携行スタイルだと腰回りに重量がまとまるので、上半身が身軽になり、動きやすいです。

 

 

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