冷戦期のソ連地上軍で、中央アジア等の厚い地域向けに支給されていた「1969年型熱地服」です。
熱地服は以前にも当ブログで記事にしていますが、今回は各部をアップデートした「野外服仕様」にしたので改めて紹介します。
熱地服は支給時点では金色に塗装したプラ製ボタンが使われていましたが、今回は野外服仕様としてボタンを全てカーキの成形色の野外用プラ製ボタンに取り替えました。
本来は下士官兵は野戦においても(規定に反して)金ボタンのまま着用していました。
逆に、将校は野外服は全てのボタンを保護色の物に付け替えていました。
今回使用したボタンはソ連軍の兵士向け売店で売られていた私物品で、古参兵が個人の嗜好で保護色ボタンに付け替えたという設定です。
このような融通が利かせられるのは、軍隊経験の長い古参下士官ならではと言えます。
袖のボタンは前合わせのボタンよりも小型の物が使われています。
襟周りの様子です。
ソ連軍服の例に漏れず、熱地服でも襟の内側に白色綿製の襟布を縫い付けています。
熱地服は開襟着用が前提ですが、折り襟でも着用できるよう、小型の第1ボタンがオフセット位置に縫い付けてあります。
襟章台座にはカーキに塗装された野外兵科章を打ち込んであります。
野外肩章は、もともと縫い付けてある肩章台座に、野戦用の赤いリボンを縫い付けて階級を示します。
画像は2本線なので「伍長」です。
熱地服の着用状況です。
常勤服との大きな違いはズボンがストレート型になっている点です。
熱地服の特徴である開襟スタイルと、パナマンカ(防暑帽)の組み合わせが良く似合います。
ベルトのバックルは野戦用の保護色塗装された物です。
着装例で使用しているのは、現在よく流通しているカーキ色塗装の物ですが、実際の冷戦期の野戦用バックルは、ヘルメットと同じダークグリーン塗装だったそうです。
ただ、実物はまず目にする機会が無く、当時の記録映像においてすら、ほぼ例外なく金色バックルが使われています。(ソ連軍の謎…)
靴は熱地向けに、長靴ではなく黒革製の短靴が支給されていました。
くるぶし辺りまでの丈の短い編上靴で、ズボンの裾を被せるように外に出して着用します。
アフガニスタン紛争で現地に派遣された第40軍の陸軍歩兵の装備例です。
装備は着用規定を無視して必要最小限の装備品を装備ベルトのみで身に着けています。
ソ連国内部隊や訓練部隊では規定通りの装備で着用していましたが、アフガニスタンのような戦場では、使い勝手優先で個人の好みで装備品を組んでいました。
画像の例では頻繁に使う水筒を身体前面に置き、重くバランスの悪いマガジンポーチや銃剣を背中側にまとめています。
駐屯地周辺や飛行場の警備等では野営の必要も無い為、軽装が目立ちます。
着用例では自動車化に合わせて折り畳みストックの「AKS-74」を携行していますが、一般歩兵に最も普及していたのは、木製の固定ストックの付いた「AK-74」でした。
暑く乾燥した山岳地帯であるアフガニスタンでは飲料水の確保は重要でした。
水筒は典型的なアルミ製の物ですが、空挺軍をはじめとする装備優良部隊では、容量の多いポリ製水筒も支給されていました。
装備例では中央アジアから派遣された部隊で熱地装備が揃っていますが、動員地域によっては普通の1969年型常勤・野外服と長靴のまま勤務に就く兵士も少なくなかったようです。
戦闘に備えて、規定に合わせた軍装を身に着けた地上軍狙撃兵です。
装備サスペンダー使い、各装備品を既定の位置に吊っています。
侵攻作戦の為、必要な物資を詰めたメショク(背嚢)を背負っています。
アフガニスタンの実録映像に見られる、パナーマ(防暑帽)の上からカースカ(ヘルメット)を被った状態です。
優先順位の低い部隊との想定で、ボディアーマーは行き届いていない設定です。
メショクの縛着用ストラップは、使わない時の端末処理を、当時の軍装規定に添付されたイラストを参考に再現してみました。