今回ネタにするのはソ連軍が1970~1980年代に渡って使用していた「1969年型熱地服」です。
日本語表記では他に「M69熱地服」とも呼ばれます。
「熱地服」は、中央アジアなどの暑い地域の部隊向けに支給していた軍服で、1979年から始まった「アフガニスタン紛争」でも、紛争全期間を通して多用されました。
外見は、一見すると「1969年型軍服」と大差なく、私も長らく存在を意識していませんでした。
見た目の主な違いは開襟型の襟とストレート型ズボンです。
全体的に、「M69軍服」の裁断を少し変更し、風通しを良くしたといった趣で、服の生地や色味とも「M69軍服」とよく似ています。(日本陸軍の「九八式軍衣」と「防暑衣」の違いを彷彿とさせます)
内装は「M69軍服」と殆ど変わりありません。
腰にフラップ付きポケットが2つと、胸にボタン留めできる内ポケットが2つあります。
襟は基本的に開襟で着用しますが、必要に応じて折り襟に出来るよう、第1ボタンとボタンホールも設けてあります。
襟首には、第二次世界大戦当時からの伝統である白色綿製の「襟布」を縫い付けています。
襟章・肩章は野戦仕様にしてあります。
軍服には支給時点で服と同じ色の野戦用徽章台座が縫い付けてあるので、カーキ塗装の金属製襟章を取り付ける事で野戦仕様となります。
腰のポケットには雨蓋が設けてあります。
裏地は軍服生地よりも若干薄手で柔らかい青灰色の綿布が使われています。
「M69軍服」では第二次世界大戦以来のデザインを踏襲した乗馬ズボン型ですが、「M69熱地服」ではストレート型ズボン(日本軍式に言うと「長袴」)が採用されています。
ウエスト周りにはベルトループがあり、スリットポケット2つと懐中時計を入れる為の小ポケットがあります。
ズボンの裾はオーソドックスな断ち切り型で、熱地向けに支給されていた黒革製短靴を履くのに便利な作りです。
着用例は1980年代の「アフガニスタン派遣ソ連地上軍 自動車化狙撃兵」です。
武装は歩兵の主力小銃である「AK-74」で、木製の固定ストックモデルを携行しています。
本来、熱地向けには黒革製の短靴が支給されます。
アフガニスタン紛争が長期化してからは、地形に合わせた編み上げ式の半長靴が支給されるようになりますが、アフガニスタン派遣部隊では紛争全期間を通して半長靴の絶対数が不足気味でした。
全兵士に行き渡らなかったことから、一般部隊と同じ長靴の使用例も多くみられます。(この写真の撮影当時はまだ人造皮革製のソ連軍長靴を入手できずにいたので、東ドイツ軍の長靴で代用しています)
熱地服と同じく中央アジア方面で常用されていた「パナーマハット」を被った常勤スタイルです。
パナーマハットを被るとぐっとアフガン風味が増しますね。
当時の実物はだんだんと希少になっていますが、海外製のレプリカも流通しているようです。
画像はソ連地上軍歩兵の基本装備です。
ビニールコーティングされた綿製ベルトとサスペンダーの組み合わせに、ベルトループを介してマガジンポーチ、水筒、グレネードポーチ等を組み合わせてあります。
ガスマスクバッグは右肩からたすき掛けして、ストラップを腰に一回りさせてバタつき防止にしています。
アフガニスタンに派遣された地上軍は、移動に装甲輸送車を多用しており、乗車部隊では携帯ショベルや背嚢、ポンチョ等のかさばる装備は身に着けず、車内に載せておく事も多かったようです。
実際の記録映像では、着装例よりもっと軽装の姿がよく見られます。
「熱地服」とは言いますが、乾燥した地域での使用を前提とした作りのため、湿度の高い日本の暑い季節にはソ連軍装は適していません。
そのため、「熱地服」と言いつつも「M69軍服」や「アフガンカ」と同じように春先や秋口以降が一番の使いどころと思います。