冷戦初期のソ連軍装 ~ ソ連軍 1955年規定ルバシカ (海外製・複製品)

ソ連軍の「1943年型ルバシカ」を、第二次世界大戦後の仕様にバージョンチェンジしてみました。

戦後のルバシカのデザインの変遷については、1969年型キーチェリの採用まで25年に渡り運用されたこともあり、幾度も改修を受けています。

その間に定められた軍装規定や年式は、知る限り1947年、1949年、1955年、1956年に見られます。

主に階級章をはじめとする徽章類に関する変更のようですが、詳細は当方の勉強不足で、まだ分からない事ばかりです。

 

 

今回は、戦後軍装規定での大きな変更である「1955年型肩章」を取り付け、1950年代以降の時代に合う徽章を装着しました。

 

 

ルバシカの外見上の変化は、採用当初は一切ポケットが無かった物が、大戦末期から戦後にかけて内蔵式の蓋付きポケットが追加された点です。(将校用は大戦中から胸ポケットが付いています)

そして、1955年には肩章のデザインに小変更が加えられました。

 

 

下士官兵用の1955年型肩章です。

従来との違いはリバーシブルタイプとなった点で、左のラズベリー色が常勤用で、裏返すと保護色の野外用として使えます。

1955年型肩章は、その後も小改訂を加えながら、1969年型キーチェリに更新されるまで使用が続けられました。

 

 

常勤用の面には、黄色のリボンが縫い付けてあります。

裏面に、軍服に取り付ける為のボタン留めタブがあります。

 

 

ひっくり返すと、野外用肩章として使えます。

階級リボンは野戦用の赤色で、2本縫い付けてあるので「伍長」に相当します。

 

 

1943年型肩章と並べてみました。

左が1955年型、右が1943年型です。

1955年型では兵科色縁取りが廃止され、肩章自体を兵科色で作られています。

 

 

裏面から見ると、1943年型との構造の違いがよくわかります。

全長も、1955年型では若干短くなっています。

なお、どちらもロシア製の複製品です。

 

 

肩章を野外用側を表にして装着した、野戦服状態です。

 

 

リバーシブル式だと、必要に応じて切り替えが出来るので便利です。

ソ連軍ならではの、金属製徽章類を胸に取り付けてあります。

 

 

ソ連軍服は夏は綿と化繊の混紡、冬はウール製が支給されますが、肩章は通年ウール製が用いられています。

 

 

胸の徽章は、左から「歩兵特技章」「勤続章」「親衛部隊章」です。

 

 

こちらはソ連共産党員を示す「コムソモール章」です。

小さなピンバッジですが、身に着けると社会主義ソビエトらしさが増すので、お気に入りの装飾です。

 

 

1955年型肩章を身に着けた、常勤服姿のソ連地上軍歩兵科伍長です。

 

 

ルバシカのデザインに変化はないものの、肩章や合皮ベルトの組み合わせで、大戦型との違いが見られます。

 

 

長靴は、昔ながらの徴集兵用キルザチーです。

 

 

胴の部分がキルザ(合皮)で出来ており、靴底はゴム製です。

トレッドパターンは戦後製特有の物で、他のソ連製軍靴にも多く見られるデザインです。

 

 

ピロトカと合皮バックルベルトのみ身に着けた、常勤スタイルです。

大戦以来の兵科色であるラズベリーの肩章が冷戦期らしさを感じさせます。

 

 

軍装コレクター視点では、大戦型とは異なる徽章選びが楽しみどころです。

特に使用期間があまり長くなかった「勤続章」は、この時期ならではのチョイスです。(ウイングマーク型の物)

 

 

ピロトカは戦後生産の実物です。

常勤用という事で、フルカラーの帽章をピンで打ち込んであります。

 

 

全面ラズベリー色の肩章は適度な厚みの相まって存在感があります。

 

 

警備任務の為、小銃と予備弾薬のみ携行した軽装スタイルです。

 

 

身動きの邪魔にならないよう、ショルダーバッグ型のマガジンポーチを背中側に回して身に着けています。

 

 

手にしているのは、1947年に採用された「AK-47アサルトライフル」です。

1950年代には部隊配備が始まって間もない頃で、ぴかぴかの新兵器だったことでしょう。

 

 

指示を受け、ヘルメットを被りつつ集合地点に向かうところです。

 

 

ヘルメットは「SSh-40」を使用しています。

ソ連軍のヘルメットはやがて小改良版の「SSh-60」を経て、完全新規造形の「SSh-68」に更新されます。

 

 

1950年代のソ連地上軍歩兵科伍長の野戦装備状態です。

 

 

歩兵の基本装備となる各種装具を身に着けています。

 

 

ヘルメットは大戦以来使われている「SSh-40」です。

ソ連軍ではヘルメットを「カースカ」と呼びます。

 

 

野戦装備の為、肩章は野外用を表にして装着しています。

リバーシブル式なので裏返すだけで常勤・野戦に柔軟に対応できます。

 

 

1950年代の個人装備は、第二次世界大戦以来のたすき掛けした装備品をベルトで締めるスタイルです。

合皮製ベルトの正面に、艶消し銀色のバックルが付きます。

吊っている銃剣はAK-47用の「6kh2」です。

ソ連製は茶色のベークライト製グリップと革製ストラップの組み合わせですが、入手出来なかった為、黒色の東ドイツ製銃剣で代用しています。

 

 

ガスマスクバッグは第二次世界大戦モデルを引き続き使用しています。

ベルトに取り付けた手榴弾ポーチも、3個収納の大戦型です。

 

 

スコップは戦後に普及したMPL-50モデルを、大戦型カバーに入れてベルトに吊っています。

 

 

マガジンポーチは5本収納タイプです。

AK-47採用当初に作られた最初期型で、重量がかかる為ショルダーストラップでたすき掛けします。

 

 

1950年代のソ連地上軍歩兵装備例です。

 

 

第二次世界大戦以来のベルトループで装備を吊る方式なので、重量物は個別にショルダストラップで重量分散するデザインです。

 

 

肩に吊っているのは、導入されたばかりの「AK突撃銃」です。

 

 

改良型の「AKM」をはじめとしたバリエーションが登場すると、識別の為に「AK-47」と呼ばれるようになりますが、登場時点での正式名称はシンプルに「AK(アブトマート・カラシニコバ)」でした。(「アー・カー」と発音します)

 

 

記録映像でもしばしば見られる、立射の姿勢です。

 

 

装備品の組み合わせや着こなし自体は、第二次世界大戦時と殆ど変わりがありません。

1950年代も後半になると戦後に開発された装備サスペンダーが普及し始め、冷戦型装備が完成されていきます。

 

 

肘を肩の高さまで上げる射撃姿勢は古いスタイルですが、ソ連のみならずアメリカ軍や自衛隊でも1980年代までは基本スタイルでした。

 

 

執銃の作法も、時代と共に変化する物なので、軍装に合わせて所作もしっかり模倣できるよう、知識を深めたいと思っております。

 

 

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