アメリカ陸軍および海兵隊がベトナム戦争で使用した「ジャングルファティーグ」です。
本品はジャケットがデッドストック実物新品、トラウザーズがセスラー社の複製品です。
「トロピカル・コンバット・ユニフォーム」通称ジャングルファティーグは製造時期により大別して4種類に分けられますが、こちらは4thタイプ、最後期の物です。
このタイプは1968年頃から製造された物で、ベトナム戦争後半期に用いられた、最も普及したタイプと言えます。
現在製造されている複製品や当時のデッドストック品も殆どがこの4thスタイルです。
ジャケットのボタンはプラスチック製で、全体に丸みを帯びた使いやすい形状です。
極初期型では艶のあるボタンでしたが、間もなくつや消し処理のボタンへと変更されました。
ジャケット背面上部の縫い目付近です。
ジャングルファティーグは上下とも、ゆったりした裁断で防暑性能に配慮してあります。
結果として、戦闘服としても動きやすいデザインであり、のちに採用される「BDU(バトル・ドレス・ユニフォーム)」におおいに影響を与えました。
袖は2箇所のボタンホールでサイズ調整できます。
一番きつくした状態です。
ジャケットには4箇所にポケットが設けてあります。
画像は胸ポケットで、プリーツで容量を多くする工夫や、水抜き穴が設けてあり機能的です。
胸ポケットの蓋を開けた状態です。
胸ポケットには蓋の部分にペン挿しがあり、ポケット内部にもペンの通せる縦長の内ポケットが縫い付けられてます。
こちらは腰ポケットです。
こちらも胸ポケット同様に大容量で、機能的にできています。
また、ポケットの底には使用環境を想定してか、水抜き孔が設けられています。
パッチ類は全て別途調達した物を自分で縫い付けました。
ポケットのフチに沿って「U.S.ARMY」タグ、その上部に水平に「歩兵戦功章」があり、袖には上部に「第9歩兵師団章」、下部に「四等特技兵」階級章を縫い付けています。
パッチ類はすべて、ベトナム戦争中期頃から普及しだしたサブデュードタイプです。
初期のフルカラーパッチと比べ目立ちにくく、被服の迷彩効果を高める効果があります。
「U.S.ARMY」タグ、ネームタグは、当初は被服に対して水平に縫い付けられていましたが、1969年通達により、画像のようにポケットのフチにそって、斜めに縫い付けられるよう改められました。
袖にはアメリカ軍の規定どおりの配置で徽章類を縫いつけました。
ベルクロ式の現用品と違い、当時の軍服では徽章類を付け外しする概念はまだありません。
肩に近い位置に縫い付けてある徽章は「第9歩兵師団」の師団章です。
師団章は1980年代以降に生産されたナイロン製の物で代用しています。
装備考証的にはコットン製でカットエッジの物が望ましいです。
師団章の下に位置するのは「四等特技兵」の階級章です。
こちらはベトナム戦争当時の実物デッドストック品で、コットン製の台座に黒色刺繍されています。
この時代のワッペン類は、縁が断ち切りっぱなしのカットエッジ処理が特徴です。
「U.S.ARMY」テープの上にあるのは「戦闘歩兵章」です。
ネームテープはベトナム戦争後期に良く見られるスタイル、ポケットに沿って斜めに縫い付けています。
「ジャングルファティーグ・トラウザーズ(ズボン)」です。
ジャケットに比べトラウザーズは消耗が激しかったらしく、程度の良い実物でジャストサイズのものはなかなか見つからず、合っても結構な価格になっています。
私は堅実に精巧複製品で妥協しました。
大容量のカーゴポケットやウエスト調整ベルト、ズボン裾の絞り紐等、のちのBDUに受け継がれる要素が見て取れます。
トラウザーズには大型のカーゴポケットが2箇所、フラップ付きの尻ポケットが2箇所あり、実用性に富んだ造りになっています。
カーゴポケットは2箇所のボタンで留めるように出来ています。
各部にマチがとってあり、外見以上に物を収納できるつくりです。
片方のカーゴポケットの中には、更にフラップ付きの小ポケットが内蔵されています。
何を収納する為の物かは、残念ながら知識不足でわかりませんが、凝った造りですね。
ズボンの裾は紐が通してあり、足首周りに合わせて縛る事が出来ます。
ベトナム戦争当時の米兵は、裾をたくし込まず、ブーツの外側でこの紐で縛って着用する事が多かったようです。
実際、そのようにブーツを履いたほうがうっ血を防ぎ、楽に行動できます。
ズボンベルト用ループに加えて、ウエスト微調整用のバックル金具が取り付けてあります。
また、尻ポケットにはフラップがあり、ボタンが1箇所設けられています。
それまでの米軍野戦服のポケット類が貼り付けポケット程度のシンプルな造りだった事を考えると、かなりの進化だと思います。
正面から見ると、前合わせの第1ボタンが確認できます。
側面には手を突っ込めるスリットポケットが2箇所あります。
背面から見ると、フラップ付きの尻ポケットが2箇所、ウエスト調整金具が2箇所確認できます。
前合わせはこれまでの米軍服とは異なり、ジッパー式になっています。
民生品を参考にしたのでしょうか、ボタン式に比べると格段に使いやすいです。
ただし、のちのBDUではボタン式に戻ってしまったところを見ると、耐久性に問題があったのかもしれません。
タグもリアルに再現されています。
アメリカ陸軍のズボン用ベルトは第二次世界大戦以来の「オープンフェイス・バックルベルト」です。
1960年代の物はバックルが黒塗装で、ベルト本体も黒色コットン製になっています。
ジャングルファティーグを実際に着用してみました。
ジャケットのサイズは「M-R」で、肩幅はいいのですが、縦に長すぎてハーフコートを着ているような感じになってしまいました。
これでは服を着ているというより、服に着られているようで格好悪いですね。
非戦闘時、ラフな着こなしの状態です。(前を空ければ多少はマシに見えるかも…)
首から下げているドッグ・タグは、ベトナム戦争当時の仕様を再現した複製品です。
ヘッドギアは1960年代アメリカ陸軍の「ユーティリティキャップ」で、通称「ベースボールキャップ」と呼ばれた物です。
ベトナム戦争では「ブーニーハット」と共に普及していました。
ジャングルファティーグとM1956装備で武装した状態・正面です。
首にかけたタオルは夏のサバゲーでは実用品としても汗止めとして大変役に立ちます。
手袋はヘリコプター乗員に支給されていた難燃素材と薄手の革で作られた「ノーメックス・グローブ」を使用しています。
ベトナム戦争でも、歩兵垂涎のアイテムで、様々な手段で入手したと聞きます。
手にしているのは東京マルイ製・電動ガン「M16A1ライフル」です。
現在では絶版品ですが、そこそこの性能で重量が軽いので重宝しています。
サバイバルゲーム用に、キャリングハンドル上部に「コルト社純正タイプ・ショートスコープ」を搭載しています。
このような装備例は当時の戦場写真でも確認できます。
腰周りの装備品です。
装備品をどっさりつけた「M1956ピストルベルト」を「M1956 H型サスペンダー」で吊るすスタイルは、ウッドランド迷彩BDUとALICE装備の時代まで続くアメリカ軍兵士の典型的スタイルですね。
ジャングルファティーグとM1956装備で武装した状態・背面です。
「M1961フィールドパック」を中心に各種装備品を装着しています。
M1956装備一式です。
腰には「M7バヨネット(銃剣)」を吊っていますが、ベトナム戦争では必ずしも常に装備する物ではなかったようで、銃剣を支給されない兵士の姿も多く見られます。
M1961フィールドパックの下部には丸めたポンチョを縛着してあります。
ポンチョにはポンチョ・ライナーと一緒に携行する為の専用のキャリア・ストラップもありますが、ロールの梱包が煩雑で、背中に背負うスタイルが不快という事でフィールドパック下部のストラップを利用して縛着する方法が頻繁に見られます。
ベトナム派兵が本格化した1966年に「M16A1ライフル」が採用されてから消費弾薬量が激増した事もあり、予備弾薬を余分に携行するためバンダリアが多用されました。
本来の設計意図では、クリップ付きの実包を収納しておき、都度弾倉に装填する事になっていましたが、実戦では簡易なマガジンポーチとして、装填済みの弾倉を収納している場合が多かったようです。
実物バンダリアなので、タグスタンプも確認できます。
「M16A1・ユニバーサルアモポーチ」の側面には「M26ハンドグレネード」を装着してあります。
M1956装備は装備品の取り付けに金属製のスライドキーパーを採用したのが特徴です。
装備を組む時だけでなく、取り外しや取替えも楽に出来るようになった画期的な発明だと思います。
装備品がナイロン製に更新された後も「アリスキーパー」の通称で使用され続けましたし、自衛隊でも同型のスライドキーパーを採用しています。
「M1ヘルメット」には「ミッチェル迷彩ヘルメット・カバー」が被せてあります。
このヘルメット・カバーは1959年頃からアメリカ海兵隊で支給が始まり、間もなく陸軍でも後追い採用されました。
ジャングルファティーグと合わせて、ベトナム戦争当時のアメリカ軍兵士のイメージを印象付ける装備だと思います。
なお、画像で使用しているM1ヘルメットはかつて東京ファントムで販売されていた、サバイバルゲーム向けのプラスチック製モデル品です。
非常に軽量で首に負担がかからず、帽子感覚で扱えて便利です。
陸軍ではヘルメットには擬装用のゴム製ヘルメット・バンドが装着されます。
ベトナム戦争では一般に、擬装用としてではなく、渡河の際に濡らしたくないチリ紙や煙草等の小物を挟んでおく為に使用されていました。
一方、海兵隊ではそのような使用を良しとしない気風から擬装バンドは支給されませんでしたが、戦場の兵士の多くはゴムタイヤのチューブを使って自作したゴムバンドを愛用していました。
軍規よりも戦場の利便性を重視する、現実的な判断がいかにも実戦馴れした兵隊らしくて興味深いです。