ソ連軍 KLMK 迷彩カバーオール (実物)

ソ連軍の迷彩カバーオール「KLMK」の実物放出品です。

KLMKは、古くは1950年代末には初期のタイプが存在したようです。

KLMKは冷戦期を通じてソ連軍の代表的迷彩装備として用いられ、迷彩柄自体は現代のロシア連邦軍でも使用例が確認出来ます。

それだけ迷彩の完成度が高いという事でしょう。

 

 

1990年代に入って、「アフガンカ」と同じデザインの各種迷彩服が普及し始めてからは、軍服の上から羽織るタイプの「KLMK」はめっきり見かけなくなってしまいました。

「KLMK」に使われている幾何学模様の独特な迷彩パターンは「BEREZKA(読みはベレスカ、ベリョーズカ、ベリョーザetc.)」と言う、1960年代から存在する迷彩柄です。

「BEREZKA」は日本語で「白樺迷彩」といったところで、「KLMK」とは「迷彩つなぎ」程度の意味らしいです。

 

 

「KLMK」は1ピースのつなぎ型です。

ゆったりとした作りなので、腰回りをベルトで締めないと、かなりだらしない格好に見えてしまいます。

腰付近にはベルトループがあるので、位置決めは容易で、ズレ防止にもなります。

「KLMK」に関しては、私は極力軽装備のほうが格好いいと思っています。

1980年代のソ連軍の訓練や演習の動画を見ると、身に着けているのは装備ベルトにマガジンポーチと銃剣のみで、あとはせいぜいガスマスクバッグ程度しか携行していない事が多いです。

「BMP」や「BTR」などの装甲輸送車での乗車移動が多く、日用品は携行する必要も無いのかもしれません。(事実、「背嚢は社内に残置する事」と規定されています)

 

 

素材は、非常に薄っぺらい綿生地で出来ており、訓練で酷使したらすぐに破れてしまいそうです。

市場に流通している「KLMK」の大半がデッドストックなのも、中古品は放出されるまでもなく着つぶされてしまうからかもしれません。

あくまで消耗品として、大量に生産され、大量に消費されたのでしょう。

サバイバルゲーマーの視点で見ると、生地の薄さと素材感から、ソ連軍装には珍しく夏場でも快適に着用できます。(下着から直接羽織る形での場合)

 

 

尻部分はボタンを外せば丸ごとめくれます。

構造上、中の軍服のポケットに手が届くよう各部が隙間だらけのため、風通しは抜群に良いです。

また、迷彩パターンも夏季の使用には最適で、装備品をベルトとマガジンポーチ程度にしてフードを被った状態で戦闘に望めば、かなりの迷彩効果を発揮します。

軽装備での演習風景は、前述の通り当時の映像で確認できますから、リアルでもありますね。

 

 

臀部には一か所貼り付けポケットが設けてあります。

 

 

ポケットの中にはフェイスマスクが付属していました。

フェイスマスク両端に縫い付けてあるゴムバンドを耳に引っ掛けると、顔全体をカバーできます。

 

 

フードを被ってフェイスマスクを装着した、完全迷彩状態です。

狙ったわけでは無いと思いますが、白色ゴム製のガスマスクといい、このフェイスマスクといい、ソ連軍装備は凶悪さの演出に余念がありませんねw

 

 

昔購入した、LS製プラモデルの「AK-74銃剣」を構えてみました。

ソ連軍の銃剣は画期的な多機能銃剣で、諸外国も追随して銃剣に同種の機能性を持たせるのが一般的になりました。

 

 

「KLMK」の特徴として、リバーシブル仕様が挙げられます。

「白樺迷彩」の表面に対して、裏面は「夜間迷彩」と言われています。

実際に夜間に使った事が無いので効果の程は不明ですが、米軍が湾岸戦争に投入した「ナイトパターン」も似たような柄でしたから、相応の効果はあるのでしょう。

画像はありませんが、ご丁寧にフェイスマスクもリバーシブル仕様です。

 

 

着装イメージは、アフガニスタン紛争・初期から中期頃の「ソ連地上軍 自動車化狙撃兵」です。

アフガニスタン紛争では、ソ連空挺軍の「AKS-74」や「AKS-74U」などの折り畳み式小銃がイメージされますが、地上軍は木製ストックの「AK-74」を装備しています。

 

 

「KLMK」の下には「1969年型熱地服」を着用しています。

熱地服は、暑い地域の兵士に支給するため「1969年型キーチェリ」をベースに開襟・ストレートズボン仕様にしたもので、アフガ二スタン紛争では最も多用された軍服です。

アフガ二スタン派遣部隊でも中期頃には有名な「アフガンカ」が普及しだしますが、完全には更新されず熱地服も最後まで併用されました。

 

 

アフガ二スタン派遣部隊でよく見られる、チェストリグを装着した姿です。

チェストリグは、ムジャヒディンから鹵獲した中国人民解放軍の56式小銃用弾帯のほか、それを模倣したローカルメイド品など種類・形状は多岐にわたります。

またアフガン紛争末期には、独自に開発されたソ連製官給品も登場しています。

当時の戦場写真でも、種類が多すぎて、「○○年式」といった規格分類に慣れ親しんだ私にとっては、着こなしを考える上での悩みの種です。

 

 

装備ベルトには、官給品のAK-74用マガジンポーチを下げています。

アフガ二スタンでは出来るだけ多くの弾薬を携行していたようで(無論、生存率を高める為)規定よりも多くの弾薬装填済みマガジンを様々な手段で持ち歩いていたようです。

当時の写真では、マガジンを2本テープでまとめたり、本来「RPK-74軽機関銃」用である45連ロングマガジンを「AKS-74小銃」に装備していたり、現場の創意工夫と、そうせざるを得ない過酷な戦場の様子が想像できます。

 

 

銃剣は、戦場写真を参考に後腰に提げています。

服装規定では身体の前部左側、装備ベルトのバックルと手榴弾ポーチの間に提げる決まりですが、その位置だと激しく動いた際にうっとうしく感じる事もしばしば。

実戦では規定を無視して邪魔にならない背中側やボディアーマーのポケット、チェストリグのポーチの中に突っ込んで持ち運ぶ例が見られます。

また、銃剣自体を携行しない兵も少なくなかったようです。

 

 

画像は1980年代の訓練映像よりキャプチャした物です。

 

 

本来、野戦服の上から羽織るように作られた「KLMK」ですが、実戦では下着の上に直接着込んでいる姿も良く見かけます。

 

 

もっぱらアフガニスタンの戦場ですが、現地の暑さに加えて服装規定を無視しても戦地では多めに見られていたのが理由でしょう。

 

 

事実、モスクワやヨーロッパのソ連軍部隊(すなわち1980年代当時、西側に伝えられた宣伝映像の姿)では、規定どおり、かっちり着こなした姿しか印象にありませんでした。

その時代で知識の止まっていた私などは、映画「第9中隊(邦題:アフガン)」以来、目にする機会の増えたアフガ二スタン派遣部隊の実戦写真には随分衝撃を受けたものです。

このあたり、ベトナム戦争における米兵の着こなしの変遷を彷彿とさせて興味深いです。

 

 

「KLMK」は着こなし次第でいくらでもアレンジがきくので、ソビエト・ロシア軍装備の基本アイテムと言って良いと思います。

ベトナム戦争装備のように、流通品は減少する一方でしょうから、入手出来るうちに手にいれておくのが良いでしょう。

 

 

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