第二次世界大戦の南太平洋戦線におけるアメリカ陸軍歩兵装備です。
リードグリーンの「M1943HBTユーティリティジャケット」に、カーキ色の「M1936装備」を組み合わせています。
ヘルメットは1942年に採用された「M1ヘルメット」を被っていますが、太平洋戦線では擬装網の類はあまり使われなかったようです。
南方戦線の過酷な環境に対処する為、装備品は可能な限り軽装で済ませています。
一方、「M1ガーランド」は自動小銃と言うこともあり弾薬の消耗が激しい為、カートリッジベルトに咥えてバンダリアをたすきがけにして予備弾薬の携行に努めています。
南太平洋戦線というと、上陸作戦の記録映像やアメリカ製戦争映画の影響でもっぱら海兵隊が戦っていたイメージですが、実際の戦力比では海兵隊が6個師団を投入したのに対し、陸軍は23個師団もの戦力を投入しており、南太平洋戦線においても陸軍が主力であった事が伺えます。
腰に吊っているのは「M1905E1バヨネット」で、M1905バヨネットのブレードを短く切断加工したものです。
第二次世界大戦も中盤頃には銃剣は順次、短い物に更新されていきましたが、太平洋戦線では日本軍との白兵戦に備えて、あえてブレードの長い旧型銃剣を使い続ける兵士もいたようです。
M1ガーランド用装備一式です。
南方戦線では基本的に「ハバーサック」は背負わずに軽装備で戦う事が多かったようです。
装備品はカーキ色ですが、1943年を境にOD(オリーブドラブ)の装備品が支給され始めます。
装備を裏から見たところです。
M1936装備はダブルフックで鳩目に吊るす方式の為、馴れれば取り付け易い反面、装備品の取り付けられる位置が限られるので着こなし具合の微調整がしづらいのが難点です。
「トンプソンM1A1短機関銃」を装備した陸軍兵士です。
アメリカ陸軍の歩兵部隊の編成上では、実は短機関銃の装備は無かったりしますが、様々な理由・手段で短機関銃は実際に戦場に投入され、活躍しています。
背面には「ジャングルファーストエイドポーチ」を「M1910ファーストエイドポーチ」と共に装備しています。
ジャングルファーストエイドポーチは1943年頃から普及しはじめ、間もなく海兵隊でも後追いで採用された装備品です。
腰には「サブマシンガン用マガジンバッグ」をショルダーストラップを使いたすきがけしています。
アメリカ陸軍では、海兵隊と比べると地上戦闘の機会が多い為、ヨーロッパ戦線のようにレギンスをしっかり装着しています。
トンプソン・サブマシンガンは腰だめ射撃のポーズがサマになります。
実際、電動ガンでも弾道を見ながら照準調整できるので、案外効果的な射撃方法だったりします。
トンプソン・サブマシンガン用装備一式です。
良く知られるトンプソン30連マガジン用の3連ポーチは海兵隊での使用例が大半で、陸軍での使用例は少ないようです。(海兵隊専用装備という説もあり)
陸軍ではストラップでたすき掛けする、マガジンバッグが多用されました。
護身用に「コルトM1911A1ピストル」を携行しているため、ピストルベルトにはホルスター、ピストルマガジンポーチも追加装備しており、かなりの重量になります。
陸軍ではハバーサックをサスペンダーとして運用していた為、一般に歩兵部隊ではサスペンダーは支給されておらず、ピストルベルトだけで重量物を携行するのは結構疲れます。
「M3A1グリースガン」を装備した陸軍兵士です。
戦闘は掃討戦に移行した頃で、ヘルメットも被らず、ユーティリティキャップのみで戦っています。
サスペンダー無しでピストルベルトを腰に締めると、装備品の重量でずり落ちてきてしまいます。
M3グリースガンには専用のマガジンポーチが支給されませんでしたが、トンプソン用マガジンバッグにはスペースに余裕があり、グリースガンのマガジンも収納できます。
M3A1グリースガンは発射速度が毎分450発程度と意図的に遅くしてあり、弾道を見ながら照準をコントロールすることもたやすく、使いやすかったと聞きます。
毎分450発の発射速度は、キツツキのあだ名で呼ばれた日本陸軍の九二式重機関銃とほぼ同等です。
ただしこれは実銃の話、トイガンでは毎分800発のサイクルで弾をばら撒きます。