ソ連軍の「1981年型アフガンカ」です。
アフガンカについては以前にもブログにて記事を書きましたが、階級章の追加工を行ったので改めて記事に起こしました。
アフガンカと共に制定された規定では、襟章は廃止され、兵科を表す金属製の徽章を襟の突端に取り付ける事になりました。
画像では、保護色に塗装された空挺軍の野戦徽章を打ち込んであります。
アフガンカは肩章は無く、ボタン留め式エポーレットが使われています。
そこで、規定によりエポーレット上に野戦階級リボンを縫い付けています。
二本線なので階級は「伍長」に当たります。
野戦リボンはアフガンカ導入当初は従来の赤色が使われていましたが、1980年代後期に保護色のリボンに変更されました。
アフガンカ着装状態です。
1981年型戦闘服はアフガニスタン紛争の最中に投入され、広く普及しました。
通称「アフガンカ」と呼ばれたのも、アフガニスタンに優先投入されたことにちなみます。
機能性に優れ扱いやすかった事から現場の兵士にも好評だったようで、カーキ色のアフガンカに続き、同じ裁断の各種迷彩服が次々と導入され、広く使用されました。
軍装はアフガニスタン派遣ソ連第40軍麾下のソ連空挺軍の物で、襟に野戦空挺章、下着にテリニャシュカ(ボーダーシャツ)を着用しています。
装備ベルトは殆どの場合、規定に反して野戦においても真鍮製の輝く金バックルが使われていました。
アフガンカと共に導入されたツバ付き帽子は、正面に野戦帽章をピン留めしてあります。
アフガンカの肩は従来の貼り付け肩章にかえてボタン留めエポーレットになっています。
エポーレット上に、1980年代後期に改訂された保護色野戦リボンを縫い付け、階級章としています。
アフガニスタン紛争の記録映像でしばしば見られる、ジャケットの裾をズボンにたくし込んだタックインスタイルの着用例です。
従来の1969年型軍服と異なり、アフガンカのズボンのベルトループは幅が広く、2バックルベルトも余裕で通せます。
アフガニスタン紛争で使用された黒革製戦闘靴です。
実物中古品ですが、状態は良好で、充分実用に耐えるレベルです。
アフガンカを着用したソ連空挺軍の地上戦闘装備です。
銃撃戦に備え、SSh-68カースカ(ヘルメット)を被り、6b3ボディアーマーを身に着けています。
ベレー帽やRD-54空挺背嚢を身に着けていないので、一見すると地上軍兵士と変わらない印象です。
腰には、熱地向け大容量ポリ製水筒(民生品を買い上げて支給した)を吊っています。
ボディアーマーの上から、リフチク(チェストリグ)を身に着けています。
このリフチクは、ソ連軍の官給品の中でも後期型に当たり、支給開始はアフガニスタン紛争も末期になってからで、印象と異なりあまり普及しませんでした。(後のチェチェン紛争では広く使われています)
足回りは官給品の編み上げ式戦闘靴を履いています。
アフガニスタン駐留ソ連軍には、長靴に替えて熱地向けに開発されたコンバットブーツが逐次投入されています。
ただ、全軍には充分に行き渡らず、空挺軍のような精鋭部隊に優先支給されていました。
画像の靴は靴底が長靴と同じ硬いゴム製の革製編上靴ですが、のちにはポリウレタン製黒色戦闘靴が導入されています。
ポリウレタン製は軽量で生産性が高く実用性が高い反面、加水分解で比較的早期に劣化してしまう為、コレクター泣かせの装備品でもあります。(当時の兵士にはどうでもいい事ですが…)
アフガニスタン駐留ソ連軍は、過酷な戦場に合わせて装備を変化していったため、同時期の本国軍とはかなり印象が異なり、実戦的でワイルドな印象を受けます。
当時の記録映像を見ると、荷物を目いっぱい詰め込んだ背嚢や、自作の改造弾帯等の個人装備の工夫が見られ、熱地水筒もアメリカ軍兵士のように複数携行している様子が確認できます。
一方、トラックと護衛の歩兵戦闘車による輸送コンボイに乗車する兵士は、防護用のヘルメットやアーマー以外には装備品を身に着けていない軽装ぶりで、任務による着こなしの違いが興味深いです。
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