ベトナム人民軍 K82軍服 (サムズミリタリ屋製・複製品)

今回紹介する物は、ミリタリーサープラスショップ「サムズミリタリ屋」で購入した「ベトナム人民軍 K82軍服」です。

同社オリジナルの複製品で、商品名には明記はありませんが、外見上の特徴から「K82軍服」と判断しました。

 

 

ベトナム人民軍の戦闘服は、1958年制式の「K58」に始まり、「K74」、「K82」と改修・更新されつつ、ベトナム戦争から1990年代まで長く運用されています。

また、「K94」に始まる迷彩戦闘服が採用され、「K07」が全軍に普及した現在でも、「K58」以来のデザインを踏襲した濃緑色の「K03」が作業服兼常勤服兼制服(つまり便利な汎用軍服)として使用されています。

 

 

サムズミリタリ屋製の物はデザイン上の特徴から、「K82軍服」をモデルにしたものと推測されますが、ベトナム戦争当時の「K58軍服」とは各所に相違があり、特徴的なモデルとなっています。

 

 

布地の織りや縫製はクラシカルで良い雰囲気です。

色味はカーキグリーンに見えます。

ベトナム戦争末期、サイゴンに突入した北ベトナム軍のカラー画像に近い印象で、良い雰囲気です。

 

 

肩には「K58」や「K74」にも見られる肩章取り付け用ループが設けられています。

これは制服を全軍に普及させる余裕がないベトナム戦争中に取り入れられた苦肉の策で、本来戦闘服である「K58」を式典等で制服・礼服として着用できるようにしたものです。

制服として使用する際には階級章として肩章を取り付け、襟には兵科章を取り付けます。

 

 

袖のデザインはチノシャツのようでシンプルながらスマートな印象を受けます。

 

 

袖口はカフスボタン式です。

 

 

ボタンホールは1か所で、袖口のサイズ調節は出来ません。

 

 

襟は「K82」に見られる特徴の一つで、「K58」には無かった第1ボタンが追加されており、開襟・折り襟のどちらでも着こなせる作りです。

実用例を見ると、気候の影響もあり、基本的に開襟で着用されることが多いようです。

 

 

折り襟状態でも、首回りは窮屈にならないよう襟周りは大きめに作られています。

「K82」が使用された時期は統一ベトナム国内と、カンプチア(カンボジア)駐留部隊で運用されていましたが、将校が識別を容易にするために折襟スタイルで着用したり、「ムゥ・メーム(略帽)」を使う例が見られます。

 

 

画像は実物襟章を取り付け、開襟にした状態です。

通常勤務や戦闘では襟章のみを取り付けますが、その際には階級と兵科を同時に識別できる「兵科複合型階級章」が使われる事が多いです。(当然、例外もあります)

 

 

こちらは第1ボタンまで留めた折り襟スタイルです。

どちらのスタイルも資料画像で確認出来る着用方法です。

 

 

サムズミリタリ屋製の特徴として、使われているボタンが米軍規格に似たデザインで、大きめの物です。

コピー元の実物を知らないので、精密再現なのか、コストの都合なのかはわかりません。

 

 

ボタンの形状のせいか、ジャングルファティーグに似た印象を受けます。

 

 

ジャケットの裏面です。

防暑服としての側面もあることから、内張りは一切見られません。

 

 

ジャケット背面の様子です。

 

 

背中の裁断の様子です。

 

 

これも「K82」の特徴で、ベルトループが縫い付けられています。

これは着用規定が、「K58」時代の上着をズボンの中にたくし込む“タックイン”スタイルから、上着の裾をズボンの外に出すスタイルに変更された結果と思われます。

なお、タックインしなくなったのは「K74」からで、当時の映像資料から軍服の形式を特定する際の識別点にもなります。

 

 

ベルトループ自体はかなり細いもので、一目で過酷な使用には向かないと感じます。

 

 

サムズミリタリ屋の複製品が「K82」をモデルとしていると推測できる点はズボンの形状にもあり、従来の「K58」と比べるといくつかの顕著な違いが見られます。

 

 

「K82」の特徴はズボン用ベルトループが無く、ズボン・ベルト自体が内蔵されている点です。

調節するには板紐を引き出して、D環を使って締めます。

 

 

ベルトループが無いため、内蔵ベルトを利用するしかないのですが、使い勝手は悪くないです。

 

 

前合わせはボタン式で、一般的な軍用スタイルです。

ジャケットも含め、使用されているボタンは米軍に近い、わりと大型の物です。

 

 

内張には白無地生地が使われており、縫製の具合がよくわかります。

 

 

ポケットも内側は白いです。

 

 

股間部分です。

ベトナム製の「K58」の複製品の中には裁断が細身過ぎて、着用時に股が裂ける“事故”が起こりがちですが、サムズミリタリ屋製は余裕のある作りで、実用面では有利です。

 

 

ズボンの裾はシンプルな断ち切り型です。

 

 

ズボンの裾にはボタンとループが設けられています。

 

 

ベトナム人民軍ではお馴染みの構造で、ズボンの裾をすぼめて足回りを動きやすく出来ます。

 

 

ズボンの背面の様子です。

 

 

デザインは非常にシンプルで、尻ポケットはありません。

 

 

股間部分も、補強縫いなどのない、すっきりした物です。

 

 

ズボンの裾の外見です。

 

 

ズボンを側面から見た状態です。

 

 

ポケットの開き具合です。

 

 

ズボン裾のボタンの様子です。

 

 

「K82軍服」の着用例です。

ムゥ・メーム(略帽)を被り、ベルトを締めたスタイルです。

1978年~1979年の「ベトナム・カンボジア戦争」の勝利後、成立した「カンプチア人民共和国」に駐留していた時代のベトナム人民軍では、ムゥ・メームの着用率が高いのが当時の映像から見て取れます。

 

 

サムズミリタリ屋製の戦闘服はジャケットの丈に余裕があるので、ジャングルファティーグのような自然な着こなしになります。

 

 

ムゥ・コーイ(防暑帽)を被り、袖まくりをしたラフなスタイルです。

公の場ではないのでベルトも付けていません。

 

 

ベトナム戦争中は上着の裾はズボンの中にたくしこむ“タックイン”スタイルが基本でしたが、戦後の「ベトナム・カンボジア戦争」から「中越戦争」を経る1970年代後半~1990年代までは、上着を外に出すジャングルファティーグやBDUのような着こなしが主流となっています。

 

 

ムゥ・コーイはベトナム人民軍創設期から現在に至るまで愛用されている、ベトナムを代表するヘッドギアです。

ベトナム戦争中の物の多くは中国製の供与品で、現在流通している物はベトナムで製造されたものです。

 

 

ムゥ・メームはムゥ・コーイと同じく創成期の軍装備ですが、ベトナム戦争中よりも、戦後の民主カンプチア侵攻、駐留時期の着用例が多いです。

 

 

1980年代のカンプチア駐留軍での使用例が多数みられる、ビニール製ベルトです。

 

 

サムズミリタリ屋製のベルトループにも、問題なく通せました。

ベルト位置を決めるのにちょうどよいループですが、装備を吊る際には強度面で不安があるので、耐久性を考慮するとループは使わないほうが賢明です。

 

 

ベトナム戦争中に中国から送られた援助物資の「防刺解放靴」です。

中国人民解放軍の官給品「55式解放靴」によく似ていますが、“防刺”の名が示すように、靴底が軍用ブーツらしく分厚くトレッドが深いのが特徴です。

中国からの援助物資は通称「援越装備」と呼ばれ、この靴も輸出用に製造されたもののようで、「軍輸」の刻印があります。

 

 

1980年代のカンプチア駐留ベトナム人民軍装備です。

ベトナム戦争中とは打って変わって、中国式のチェストリグスタイルが主流となっています。

 

 

装備は非常に軽装で、チェストリグのほかには装備ベルトに水筒を吊るす程度の姿がほとんどです。

 

 

同時期の重火器の装備状況は、ほぼベトナム戦争中の支援物資と、戦後に鹵獲・接収した米軍や南ベトナム政府軍装備の混用です。

 

 

画像では中国製の「56式自動歩槍」を装備しています。

この銃は、のちにベトナムでも「K56」の制式名でコピー生産されています。

 

 

カンプチア駐留部隊の装備一式です。

ジャングル内でのゲリラ戦が主流だったベトナム戦争当時よりも、利便性と軽快さを重視した印象です。

 

 

装備品はいずれも、ベトナム戦争中から存在した物です。

水筒は中国製の援越装備で、装備ベルト、チェストリグはベトナム製です。

 

 

ムゥ・メームを被りゲリラ討伐に向かう「ベトナム人民軍 上士(曹長)」です。

 

 

取り回しやすい折り畳みストックの「AKS-47」を装備しています。

 

 

カンプチア駐留部隊では、ムゥ・メームの使用例が多くみられます。

普段使いとして重宝したのでしょうか。

 

 

「AKS-47」および中国製の「56-1式自動歩槍」は、折り畳み式のストックを備え、コンパクトに取り扱えるので特殊部隊や指揮官クラス、車輛乗員に好まれたようです。

 

 

ベトナム製チェストリグは現在も使用されているベストセラーですが、時期によって素材やデザインに差異があります。

 

 

このチェストリグは古いもので、ベトナム戦争中もしくは1980年代製と思われます。

製造年をスタンプしてあると都合が良いのですが、古いベトナム製装備は往々にしてスペックタグの類が一切ないので判断に困るところです。

 

 

現用品と比べると布地が非常に薄手でコシがなく、重量物の携行には不安が付きまとう代物です。

 

 

各ポーチのデザインや縫製も、現用品とは全く異なり、コピー元である中国製と比べても各部が簡略化されています。

 

 

こちらはベトナム戦争終結後に接収した米軍装備を使用している兵士です。

 

 

「M16A1」を装備しています。

M16シリーズは弾薬も含め、大量に鹵獲されたため、整備・分類の上、必要な部隊に支給されていたようです。

 

 

予備弾倉やバラ弾の携行には米軍のクレイモアバッグを使用しています。

ベトナム戦争中は北ベトナム軍のグレネーダーが、同じく鹵獲した「M79グレネードランチャー」の擲弾入れとして利用していたりします。

 

 

「M16A1」は、必要な整備さえ怠らなければ、AK以上に砂塵や汚泥に強く、射撃時の反動が低くて命中精度も高いため、整備されつつ現在でも運用されています。

ただし「人民軍」ではなく、「自衛軍(民兵組織)」に配備されています。(ブローニング系各種機関銃や、M60GPMGも運用中)

 

 

米軍のクレイモアバッグは収納量の多さから、米兵にとっては便利な雑嚢として利用されることが多く、鹵獲したベトナム側でも便利さを認識したようで、サイゴン陥落時の映像等でベトナム兵の使用例が見られます。

 

 

戦後にはベトナム製のコピー品も作られ、利用されていたようです。

使い捨て前提の単純な作りのポーチですが、かえって汎用性が評価されたようですね。

 

 

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