今回は、ようやく手に入れる事ができた、自衛隊マニア垂涎の一品、「メーサー徽章」を紹介いたします。
メーサー徽章というのは通称で、正しくは、「電磁光学機材徽章」といいます。
この徽章は、陸上自衛隊の特生科が装備しているメーサー殺獣砲車の運用資格を持つ隊員が胸に縫い付けている物です。
メーサー殺獣砲車とは、陸上自衛隊特生科連隊が運用している、大型特殊生物、いわゆる“怪獣”の殲滅を目的とした装備です。
1966年の生物災害出動における“L作戦”において、未だ運用試験中の車輌が急遽投入され、一定の効果を上げました。
その後新聞・TV報道を通して一躍有名となり、昭和40年代の“怪獣頻発期”には、度重なる出動でメディアの露出も増え、自衛隊の生物災害出動のイメージを強く印象づけたものです。
そして現在でも怪獣に対する切り札として、改良型の「90式メーサー殺獣光線車」が配備されています。
画像は1966年頃の陸上自衛隊 特生科隊員です。
特生科、即ち対特殊生物科は、戦後頻発した特殊大型生物による被害、いわゆる怪獣災害に対抗する為の装備を専門に運用する部隊です。
特生科は現在、4個連隊が編成されています。(最盛期には12個連隊に及ぶ)
中でも最初に組織された第一特生科連隊は、錬度・装備共に最優秀とされています。
【編成例】
☆第一特生科連隊
☆ 第一中隊~第二中隊…電磁光学機材装備(メーサー中隊)
☆ 第三中隊~第四中隊…徹甲誘導弾、多連装ロケット弾装備(ミサイル中隊)
※編成は1999年当時の公表資料に基づく。
※徹甲誘導弾とは、1999年の“G”災害において用いられた「フルメタルミサイル」を指す。
※第三~第四中隊の装備は、殆どの場合、各種ロケット発射装置(通称ポンポン砲)装備である。
いわゆるメーサー徽章です。
画像上が現用、下が初期型です。
メーサー徽章は、絶対数の少なさ、組織の機密性の高さから入手は非常に困難で、マニア垂涎の逸品です。
“メーサー波”は、その照射に膨大な電力を必要とするため、66式~90式までの全てのメーサー車台は、内部に原子炉を搭載しており、専門の訓練を受けた隊員だけが操作する事を許されており、その資格者である事を証明するものとして、このメーサー徽章を身につけることが義務づけられています。
初期徽章はフルカラーでメーサー車をかたどったデザインです。
現用徽章は、サブデュードタイプとなっており、図柄に変更はありません。
陸上自衛隊では、階級略章と同じく、1984年4月を境にフルカラーからサブデュードへとカラーリングが変更されました。
自衛隊員は、徽章と共に、部隊名と氏名を記入した記名布を身につけます。
初期型の記名布は白色で、画像の物は、初めてメーサー車が投入された「L作戦」当時の所属部隊のものです。
「L作戦」においては、当時まだ最終試作段階であった「試製メーサー砲車台/牽引車」が、実験中隊付ながら4輌投入されています。
名札には、当時まだ特生科が組織されていなかったため、特殊車両を意味する「特車中隊」の刺繍がなされています。
現用のものは、OD単色で迷彩効果を高めてあります。
画像の物は、「陸上自衛隊 第一特生連隊 第一メーサー中隊」の記名布です。
通称「いちとくせい」は、特生連隊の中でも特に練度が高く、優良装備の部隊として知られています。
画像は「66式メーサー殺獣砲車」です。
元々は、ミサイル迎撃用に研究されていた装備で、怪獣の出現により急遽応用された物というのが通説となっています。
しかしながら、1960年代当時の技術力では高速で飛来する弾道ミサイルの迎撃は不可能に近く、研究開発の早い段階で、対特殊生物装備としての運用を意識していたのではないでしょうか。(実際に試験部隊に配備された時点で、制式名称がメーサー“殺獣”砲車とされている事に注目)
メーサー装備自体の歴史は古く、その始祖は先の大戦中にまで遡ります。
大東亜戦争末期の1944年頃より研究がなされていた「勢号兵器」は、マイクロ波を利用して高空より飛来する敵重爆撃機のエンジンを焼き付かせ、或いは搭乗員を焼死させる事による撃墜を目的として開発されています。
ただ、実際の開発は困難を極め、特に実戦運用可能なレベルの高出力を得る為の電力の供給手段が存在せず、ミニチュアサイズの試験装置によって、30分かけて兎一匹を焼死させたのが終戦までに得られた唯一の成果といえます。
戦後、軍隊の解体、自衛隊の発足と戦後復興の中で殆ど忘れ去られた存在となっていた勢号研究ですが、ある事件をきっかけに再び息を吹き返す事になります。
その事件とは、巨大蛾「モスラ」の出現でした。
日本の戦後復興のシンボルでもあった東京タワーに巣食うモスラの繭を焼き払う為に国連を介して貸与されたロリシカ国の兵器“原子熱戦砲”その威力を目の当たりにした日本の研究機関関係者に衝撃が走ります。
「原子力を使えば、或いは…!」こうして、ロリシカ国からの原子力技術供与と、日本独自のマイクロ波研究を組み合わせる形で、メーサー装備は誕生しました。
ただでさえ政治的にデリケートな自衛隊の存在に加えて、原子力の軍事利用は相当な冒険であった事は現在の目で見ても容易に想像が付きますが、幸か不幸か、頻発する怪獣被害に対抗するという大義名分により、うやむやのうちに既成事実化したまま現在に至ります。
やはり、デビュー戦である「ガイラ」掃討作戦において一定の効果ありと評価されたのが大きかったのでしょう。
正式採用された同車は、主武装にメーサー波照射装置を備え、同時に副武装として大電流放出装備を備えています。
攻撃時には、両武装を同時に発射する事で、メーサー波で与えた深い裂傷への直接感電によって巨大生物に大きなダメージを与える事が可能となっています。
初陣は1966年のフランケンシュタイン型特殊生物の殲滅を目的とした「L作戦」で、未だ試験運用段階の「試製メーサー砲車台/牽引車」4両が投入されています。
この作戦における活躍により、以後メーサー装備は特生科の主力装備として運用されていく事になります。
こちらは「70式(66式改)メーサー殺獣砲車」です。
華々しいデビュー戦を飾ったメーサー車は、その後もたびたび出現する怪獣に対して、特生科の切り札としておおいに貢献していきます。
しかし、1970年代にピークを迎える“怪獣頻発期”には、大型化、高速化の著しい怪獣に対して、性能面で不足を感じる事も多く、また運用面において絶対数の不足が問題視されていました。
この時期に、改良型として登場したのが「70式メーサー殺獣砲車」です。
この車両は、主に66式メーサー殺獣砲車の機動性の改善を目的としており、移動目標に対する砲追従能力を向上させた他、牽引車による移動能力の制限(構造上、素早い後退が困難、移動中のメーサー波照射が不可能)に対処する為、車体自体に有る程度の自走能力を付与しています。
また、技術の進化に伴い、砲の制御系や原子炉冷却装置などが小型化・省略化されているのも特徴です。
また、一説には生産コスト低下を狙い、電撃系の副武装を廃止したとの説もあります。
70式は、既存の66式と併行して生産され、新規生産分の他、既存の66式を改修した車体も作られています。(通称66式改)
しかしながら、その性能を買われて怪獣多発地帯に優先的に配備された結果、生産された車両の殆どを怪獣との戦闘で消耗する結果となりました。(通説では、1972年のガイガン型宇宙生物邀撃作戦において稼働車輌を全て喪失したとされています。)
現在運用されているメーサー型装備の主力が「90式メーサー殺獣砲車」です。
1990年代初期には、より大型で自走化の進んだ「92式メーサー砲戦車」や、航空機である「93式メーサー攻撃機」などがメディア露出も多く民間での知名度が高かったのですが、これらはバブル景気があればこそ存在し得た超コスト装備で、当時でも首都圏以外には配備出来なかった様です。
結局、90式の生産・配備が安定し始めたのは、これらの超コスト装備の運用が一段落した19990年代後半以降のようです。
車体は、66式の正統発展型といえる形で、より大型となり、技術的にも21世紀標準のテクノロジーに準じた物となっています。
牽引車は車体の大型化に伴い、90式戦車をベースに開発された「90式牽引車」を使用、66式~70式までの車両が、車体側で砲の操作を行っていたのに対し、90式では牽引車内に操作系を備えており、即応性および乗員の防御性共に格段の進化を遂げています。
こちらは、メーサー車の亜流とも言える、「ハイパワーレーザービーム車」の所属部隊である、「陸上自衛隊 第一普通科連隊 特車88部隊」の記名布です。
ハイパワーレーザービーム車は、高出力だが安全性に不安の残る(なにより世論に対する印象が微妙な)メーサー車とは異なり、原子力に拠らない動力源を模索する過程で開発された装備です。
完成時から既に威力不足が指摘されていましたが、運悪く配備時期が1984年の第一級特殊生物“G”出現時に重なってしまいました。
結局、能力不足は明らかで、次世代機としてメーサー系装備である90式メーサー殺獣光線車や92式メーサー砲戦車が開発・配備される中で、忘れ去られた装備となってしまいました。
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⇒…以上、妄想おわりッ!
メーサー徽章も特生科も、モチロン真っ赤なウソッパチです。
ネタで考えた妄想が、ついつい広がりすぎて収拾がつかなくて大変でした(w
次回、メーサー徽章・実践編に続く…。